イカロスの翼
裏稼業だからと言って、必ずしも住所不定というわけではない。だが、裏新宿を根城にするGetBackersの二人はかなりの確率で定まった住所を持たない割合が高い。もちろん安いアパートになんとか腰を落ちつけることがないわけではないが、その日の食料にも事欠く彼らである。礼金・敷金の不要な部屋であってさえ、家賃滞納で追いだされてはまた次の機会を寒い財布を抱えて待つことも少なくはない。 丈夫な身体としぶとさが幸いして、今のところそれでも次の朝はやってきてくれる。そんな暮らしを繰り返していれば、明日のことを思い悩むのも馬鹿馬鹿しくなって、奪還屋の二人はそれなりに毎日を送っているわけである。
そんなわけで、今月の奪還屋はというと、新聞の社会面であれば間違いなく『住所不定・無職』の身の上だった。無職ではないと言い張るのは間違いないだろうが、裏稼業の内容を世間一般に向かって堂々と説明するのもまた憚られる。馴染みの喫茶店のマスターは、餓死した若者二名の身元調査でお役所に出入りされるよりはマシとばかりに、ツケのタダ飯を振舞ってくれはしたが、渋い顔をつくりつつ笑うというなんとも器用な表情をしていたものだ。
そして、銀次の提案に蛮が同意して今夜の塒にと選んだのは、裏新宿の外れにある廃ビルだった。そこは、1階のロビー(と思しき)場所までスバルで乗り込むことができ、レッカーされる心配もない。寝心地が良いわけではないが、一晩くらいはまあ良いだろうとその場所が選ばれたのだった。
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「蛮ちゃーん」 「ンだよ、間抜けな呼び方すんな」
邪険なようでいて、蛮が銀次の呼びかけに応えないことなどほとんどないと言っていい。ガラスのはまっていない窓枠の側で、のんびりと紫煙をくゆらせながら蛮はひらひらと手を振った。
「ん、寒くないんだ?
そんな窓の近くで」 「吹きっさらしにいるよかマシだろ。つか、それなりにあったかい代わりに狭っ苦しい車ン中と、広いがその分凍死と背中合わせと、どっちがを選ぶかってのも、結構な選択肢だよな」
随分と極端な比較をしてみせるのは、蛮の機嫌がそれなりに良いからだろう。事実、自分でも馬鹿なことを言ったと自覚があるからか、蛮は煙草の煙を追い払いながらけらけらと笑っている。
「ま、俺らの場合、どっちかっつーと飢え死にのほうが切羽詰まってるって気はするけどよ?」 「だよねー。HONKY
TONKに決まったお休みの日とかあったら、その翌日とか危ないよね」 「まったくだ」 「でも、大丈夫だよ、蛮ちゃん」 「あ?」
妙に自身満々に言いきった銀次に、蛮が思わず不思議そうに顔を上げる。蛮のいる窓際よりは奥まったところに留めたてんとう虫から、銀次がこちらをじっと見つめている。
「蛮ちゃんが寒くて凍えるなんて、そんなこともうないから」
電気など通っていない廃ビルで、差し込んでくる光は繁華街から漏れてくるネオンのおこぼれだけだ。けばけばしし蛍光色に、点滅する看板の光。そこに、申し訳程度に月明かりが混る。それらが無秩序にビルの中に潜りこんできて、薄汚れたコンクリートの壁に不規則な影と光といくつも描き出している。 決して、美しいとは言えないその光景に。溶け込むようにして銀次がこちらを見ている。
「蛮ちゃんが、独りで寒いのを我慢することなんて、もうないよ」 「───…」
一瞬、言葉を飲みこんだ時点で、蛮は自分の負けを悟っていた。いや、勝ち負けの問題ではない。見つめてくる瞳、まっすぐに向かってくる金色の視線、煙るように彼の輪郭を包む黄金色の空気。それらが自分だけに向けられているのだと分かったときから、蛮は彼に勝とうだなどとは思わなくなっていた。 この男を手に入れて、この男に捕まえられるなら、そんな虚栄心が取るに足らない下らないものでしかない。
「なに…言ってやがる。銀次の分際で、偉そうに」
それでも、簡単に甘い餌を与えてやる気にはならないのか、蛮は銀次から視線を逸らさずに笑って見せる。
俺が欲しいなら。もっともっと、側に来い。 俺が他のなにも見えなくなるくらい、俺だけを見て、俺だけを欲しがって。
「でも、本当だよ。絶対に、そんなのもうないから」
そうしたら、お前にだけ、くれてやる。
「だって、オレがいるから」
お前にだけ、欲しいだけ俺をくれてやる。
「オレだけが、蛮ちゃんのそばにいて、蛮ちゃんをあっためてあげる。他の嫌なことなんか、忘れちゃうくらいにさ」 「ばーか…そんなんじゃ、足りねーよ」 半分ほど残っていた煙草を壁に押し付けながら、蛮が笑う。 「嫌なこと忘れるくらいじゃ、全然足りねぇ…楽しかろうが嬉しかろうが…全部、忘れさせるくらいじゃなきゃ、足んねぇぜ?」
差し出した腕に導かれるように銀次がこちらに向かってくるのを、蛮は瞳を細めて見つめる。いつもは幼ささえあるくせに、今はひどく男っぽい顔をしているのがおかしくて、つい口元をほころばせてしまう。もちろんそれから逃れるつもりなどなく、お互いにあからさますぎる誘いの会話すら楽しんでいたような気がする。 こんな風に、安っぽい誘惑も、銀次なら良いと思う。言葉もなく肉体をひたすら貪りあうのも、銀次なら嬉しいとさえ思える。決してそんなことを言ってはやらないが、銀次はそれをどこまで知っているのだろうか?
「なに、笑ってんの?」 やがて、すぐ側まで近づいてきた銀次が、蛮の表情を見咎める。 「いんや───別に?」 「ふうん…でも、いいや。なんだって」 「ほー?」 「オレが、全部忘れさせてあげるから。オレだけが、忘れさせてあげられるから」
そうでしょう? と視線で問われても蛮はやはりただ笑みで答えるだけだった。
───お前以外に、誰がいるって言うんだ。
告げる代わりに両手を差し出すと。自らその腕に絡め取られるように、銀次は蛮の身体を抱き取ったのだった。
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「あ───んぁ…っ…あっ…」
抑えようとし過ぎたのか、押し殺しながらも溢れてしまう声は、ひどく甘く響いた。 コンクリートの上に素肌で寝転ぶのはさすがにきつく、結果的に二人は最小限に衣服を乱したままで交わることとなっていた。シャツのボタンをすべて外され、タンクトップをまくり上げて晒された白い肌は、夜気の冷たさにも関わらずしっとりと汗ばんでいる。その陶器のような感触を手のひらで味わいながら、銀次ははりつめた怒張をいっそう深く蛮の中へと埋めていく。
「ぁ───ひ、ぁ…っ」
張り出した先端で感じる個所をぐりっと抉られて、蛮の足先が不規則に痙攣する。手っ取り早く局所だけを出している銀次に対して、受ける側である蛮は次第に衣服を乱されてしまっていた。ズボンを引き抜かれるついでに下着と靴を剥がし取られ、下半身を晒したままその奥を穿たれている。 押し倒されたまま向かい合わせに抱き合っているために、受け入れるには身体を二つ折りにするようにして尻を晒さなければならない。だが、その格好の恥ずかしさよりも、咥え込んだ銀次の欲の熱さのほうを蛮の意識は選び取っていた。
「蛮ちゃん…すご…熱…っ…」
はあはあと荒い息を吐きながら、銀次はなおも強く深く腰を押し込む。しかも、さきほど突いた蛮の佳い所を集中的に攻めてくる。最初は抵抗らしきものも見せた蛮だったが、次第に堪えきれなくなって銀次の服を握りしめながら、声を上げるばかりになっていった。
「や───あっ…ぅあっ…ぎっ…あ───ぁあ…っ!」
甘い刺激に堪えきれないように、蛮が頭を打ち振るのを、愛しそうに見下ろしながら、銀次は乾いた口唇をぺろりと舐める。
「蛮ちゃん…すっごく、綺麗…」
艶めかしく汗ばんだ肌に黒髪を貼りつかせて、いつもより高い声であえぎ続ける蛮の姿を、銀次はうっとりと見つめる。その間にもぐ、ぐ、と押し上げる動きに合わせるように、蛮は銀次の望むままに淫らに身体をくねらせ続けるのだった。
「ぎ…じ…ぎん…じぃ…」
切なく甘い快感が、身体の芯から意識を蕩かしていくこの行為を、受け入れている自分が蛮には不思議でならなかった。こんなにも甘く、内側からどろどろになってしまいそうな快楽は、銀次とのそれでしか味わえない。いや、銀次に出会うまでは、こんな経験がこの世に存在するだなんてとても信じられなかったのだ。
「蛮ちゃん…もっと、声…聞かせて」 「あ───ああっ…あっ…っ…!」
白い足を担ぎ上げると、銀次はなお一層強く深く蛮の身体を抉っていく。蛮自身の前も、触れられてもいないというのに、全身で受け止める熱に煽られて硬く反りかえっている。そこに伸びた銀次の手がきゅ、と揉みしだくと、たまらず蛮が悲鳴のような声で啼いた。
「ひ───ぁ…っ…ああ…っ!」
銀次にしがみつく手にさらに力が込められ、服の下の皮膚にまで爪が立てられる。それでも、熱に潤んだ瞳の端からすうっと透明な滴がこぼれ落ちるのを見てしまった銀次は、たまらない幸福感に包まれていた。
「蛮ちゃん…ずっと───ずっと、こうして…たいよ…っ…」 「あ…ぎ…っじ…も…あ…ぃっ…ああっ…!」
かすむ意識の中で、蛮の瞳が金色の髪と金色の瞳とに釘付けになる。幸せなどありえなかった人生で、自分にとっての幸福をすべて詰めこんだような男に、今、自分は抱かれているのだ。そう思うだけで、身体を繋げているというだけではない感情が、蛮の内側にせり上がって来る。
「蛮ちゃん…オレの…っ…」
狂おしいほどの独占欲に、心が歓喜に打ち震えるのがわかる。 ひまわりのように、太陽のように温かな男は、だが、世界の終わり同然の場所に君臨していた帝王でもある。恵みと破壊とを同時に体現していた男が、今は自分だけのためにここにいる。
遠い昔に聞いたおとぎ話では。 蝋の羽根で太陽に近づきすぎた男は、そのうぬぼれとともに羽根を焼き尽くされて地上へと墜落した。恵みと温もりを与えてくれるはずの太陽は、神に並ぼうとした愚かな人間をその偉大な力で突き放したのだ。
俺を抱くこの男が、神なのか天使なのか。それは知らない。 けれど、と蛮は思う。
───この男の腕になら、堕ちてもいい。
「ぁ…ああ…ぎん…じ…っ…銀次…ぃっ…」
下半身から響く淫らな水音に、白い爪先がびくびくと跳ねて。 「蛮ちゃん───好き…大好き…っ…」 「ぎ…っじ…も……ぁ───ああっ…!」
銀次の熱が弾けるのを感じながら、蛮は意識が落下するような感覚に捕われていたのだった。
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「…ん……」 「あ、気が付いた? 蛮ちゃん?」
声とともに浮上した意識が感じたのは、冷たいコンクリートではなく、ほんのりと温かい人肌の感触だった。視線だけで見上げてみれば、壁にもたれた銀次の腕に抱かれてしばらく意識を失っていたらしいのだとわかる。
「…ああ…イっちまってたか、俺」 「えーっと…あの、蛮ちゃん…」 「張り切り過ぎてごめんなさい、とか抜かしたらぶっ飛ばすかんな」 「…はい」
ついさっきまではあれほどに『男』の顔をしていたくせに、いきなりこうやって人畜無害になる。それがフリでも計算でもないのが、銀次の恐ろしいところだ。
「…たく、タチが悪ぃよな」 「え? 何が?」 「いーや、こっちの話」
そう、自分だけ、蛮自身だけが知っていれば良い話なのだ。
こんなにも、夢中だなんて。 絶対に教えてはやらない。
「案外、知ってそうなのが曲者だけどよ」 「だからぁ、なんの話?」 「なんだっていいじゃねーか」
そして、覗きこんでくる銀次の前髪を引っ張ると、近づいたその口唇に軽く接吻けて蛮は笑ったのだった。
「おめーがいると、確かにあったかいって話だよ」
そんな言葉とともに笑うその人の瞳は、この世の誰でもが見惚れるに違いない、美しいものだった。
end. 06/05/07
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とえー、スーパーで出すはずだったコピー誌のSSです…^^; 本にするタイミングを逃してしまったので、Webにアップします(笑) イベントに行けなかったぞ記念&サイト一周年記念で、しばらくフリーにいたします。 よろしかったらお持ち帰りくださいませm(__)m 「ちょっと強気な銀次と、そんな銀次にきゅんきゅんの蛮ちゃん」が某Tむさんのリクエスト。 なんだか蛮ちゃんは相変わらず偉そうだし、銀次は最後はヘタれでしたが… 一応努力したので多目に見てやってくださいませ。 そして、相変わらずうちの蛮ちゃんは銀次には喘ぎっぷりを大サービスです(笑) |
フリーとの事でしたので、勝手に頂きました。ありがとうございます(焔)
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